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014

ロマン派初期の作曲家であるウェーバーは、ドイツ・リューベック近郊のオイティンに生まれる。
父フランツ・ウェーバーの兄フリードリンの娘コンスタンツェはモーツァルトと結婚していた。
父は当時の神童ブーム(モーツァルト、トマス・リンリー、ムツィオ・クレメンティなど)に自分の息子も乗って、
ひとやま当てようと考え、息子3人に音楽教育を施した。上の2人の兄は頭角を現さなかったが、ウェーバーだけ頭角を現した。

ウェーバーは常にびっこを引いて歩いていたことから、生まれつき足が不自由な座骨障害であり、
さらには持病で結核を患っていた。。

ウェーバーは幼いころからドイツ、オーストリア全土を回り、様々な先生に音楽を学んだ。
9歳のときヒルトブルグハウゼンでヨハン・フォウシュケルから、
ザルツブルグではヨハン・ミヒャエル・ハイドン(ヨセフ・ハイドンの弟)、ウィーンではフォーグラーに師事している。

1804年、ブレスラウの歌劇場の指揮者に就任。しかし、2年後には楽長を退く。
その後、カールスルーエ、ミュンヘンなどドイツ各地を転々とする。
1813年にプラハ歌劇場の芸術監督に就任する。
1817年、ザクセン宮廷の楽長に任命され、ドレスデン歌劇場に移る。
また、ウェーバーは当時最高のピアニストとしてヨーロッパ各地で演奏を行った。

これらの劇場などで指揮者をしていたウェーバーのオーケストラに対しての大きな功績は2つある。
まず1つは初めて「指揮棒」を使って指揮をしたこと。
そしてもう1つはそれまで主流であった木管楽器が手前で弦楽器が後ろというオーケストラの配置を、
現在の弦楽器が手前で、その後ろに木管楽器という配置に定着させたことである。

1821年に、ベルリンで『魔弾の射手』が初演される。大反響を呼び、ドイツ国民オペラの代表となった。

1826年、ロンドンのコベント・ガーデン歌劇場の依頼により、オペラ『オベロン』を作曲する。
そのとき彼は結核が悪化していたが渡英し、自ら指揮棒を振り大成功を収めた。
しかしその後、病気が悪化、その年の6月5日にロンドンで客死した。
遺骨は1844年、ワーグナーの力添えにより、息子マックスに見守られながらドレスデンに帰る。

生涯

生没年: 1786年11月18日 誕生
      1826年 6月 5日 没(享年40歳)

出身地: ドイツ/オイティン

Carl Maria von Weber
カール・マリア・フォン・ウェーバー
主要作品一覧
<オペラ>
魔弾の射手 1821年
オベロン 1826年
オイリアンテ 1823年
<ピアノ>
舞踏への勧誘 1819年
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