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生没年: 1813年5月22日 誕生
1883年2月13日 没(享年69歳)
Wilhelm Richard Wagner
リヒャルト・ワーグナー
| 主要作品一覧 |
| <オペラ> |
| タンホイザー |
1845年 |
| トリスタンとイゾルデ |
1859年 |
| ニーベルングの指輪 |
1869年 |
ニュルンベルクの
マイスタージンガー |
1867年 |
| パルジファル |
1882年 |
1813年、ドイツのライプツィヒに生まれる。
当初は劇作家を目指すが18歳頃から作曲家を夢見て、大悲劇オペラを書くことを夢見るようになる。
1836年女優のミンナ・プラーナーと結婚。彼女とはのちに次第に不和となった。
ケーニヒスベルクやリガで劇場指揮者をしながら転々としていた。たくさんの借金を抱えており、
1839年、それらの借金を踏み倒してパリに移ったが相変わらず貧しかった
このパリ時代には歌劇『最後の護民官リエンツィ』、『さまよえるオランダ人』を書いた。
1842年ドイツに帰り、ドレスデンで上記2歌劇を上演してようやく注目された。
翌年ザクセン王国宮廷劇場指揮者に任命され、『タンホイザー』(1845年)と『ローエングリン』(1848年)を作曲した。
1849年、ドレスデンで起こったドイツ三月革命の革命運動に参加。
しかし運動は失敗したためリストを頼りスイスへ亡命。数年間を過ごす。この亡命中にも数々の作品を生み出す。
この頃、「総合芸術論」に関する論文数編を書き、「楽劇」の理論を創り上げた。
また『音楽におけるユダヤ性』を書いてメンデルスゾーンやマイアベーアらユダヤ人を非難し、
この反ユダヤ的思想ははるか後にナチスに利用されることとなる。大作『ニーベルングの指環』を書き始め、
また『トリスタンとイゾルデ』を1859年に完成した。
この時期には数人の女性と交際していた。特にチューリヒで援助を受けていた
豪商ヴェーゼンドンクの妻マティルデと恋に落ち、ミンナとは別居した。
1864年、ワーグナーに心酔していたバイエルン国王ルートヴィヒ2世から突然招待を受ける。
しかしそれを非難した宮廷勢力や、すでに噂となっていたリストの娘で指揮者
ハンス・フォン・ビューローの妻だったコジマとの仲を王も快く思わなかったことから、
翌年スイスへ退避し、ルツェルン郊外トリープシェンの邸宅に住んだ。
コジマは少女時代からヴァーグナーの才能に感銘を受けていたが、
ワーグナーの支持者であったビューローと結婚し2人の子を儲けていた。
ところがこのころワーグナーと深い仲となり、ついにワーグナーの娘イゾルデを産む(2人とも離婚していない)。
ワーグナーの正妻ミンナが病死したのち、コジマはビューローと離婚してワーグナーと再婚した。
それをきっかけにビューローはワーグナーと決別する。
1872年、バイロイトへ移住しルートヴィヒ2世の援助を受けて、
ワーグナーが長く夢見てきた彼自身の作品のためのバイロイト祝祭劇場の建築を始める。
1874年に『ニーベルングの指環』を完成。劇場は1876年に完成し、『指輪』が華々しく上演された。
1882年、舞台神聖祝典劇『パルジファル』を完成。
1883年、ヴェネツィアへの旅行中、客死。