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1930年10月8日に東京で生まれる。1937年、東京市本郷区の富士前小学校に入学。
叔父の家に寄留。1943年、旧制の私立京華中学校に入学。
京華高等学校卒業後、東京藝術大学音楽学部を受験して失敗。
その後、独学にて音楽の学習を収める。
1950年、処女作であるピアノ曲『2つのレント』を発表。
しかし、『2つのレント』は当時の音楽評論家の山根銀二が「音楽以前である」と酷評している。
1951年、詩人の瀧口修造の下で、作曲家の湯浅譲二らとともに多方面の芸術家からなる集団『実験工房』
結成メンバーに加わる。初期の作風はメシアンとベルクに強い影響を受けている。
協和的な音響を使いながらも従来の調性感覚とは離れており、自由な無調的感覚と言える。
「実験工房」内での同人活動として、湯浅譲二や鈴木博義、佐藤慶次郎、福島和夫、
ピアニストの園田高弘らと共に、メシアンの研究と電子音楽を手がけた。
武満のメシアン研究の成果・影響としては「遮られない休息」「妖精の距離」が挙げられる。
また武満はミュジーク・コンクレートとして「水の曲」「ヴォーカリズムA.I」などを製作している。
1957年、結核の病床で死を意識しつつ『弦楽のためのレクイエム』を書く。
『弦楽のためのレクイエム』は発表当初、評論家の山根銀二に酷評されたが、
1959年に自作の指揮と観光のために来日したストラヴィンスキーが
「厳しい、実に厳しい。このような曲をあんな小柄な男が書くとは!」と絶賛し、
世界に知られる作曲家となる。
1960年代後期には、それまで映画音楽でのいくつかの試行実験を踏まえ、
純音楽においても邦楽器による作品を手がけるようになった。
1967年、ニューヨーク・フィル125周年記念の作曲をバーンスタインに依頼され、
琵琶と尺八とオーケストラの構成による『ノヴェンバー・ステップス』を作曲。この成功によって名声をさらなるものとした。
卓越した管弦楽法と絶妙に折り重ねられた和声は、
多くの場面において時にドビュッシーを思わせながらも決してそれを安易な
“過去の様式の模倣としての調性音楽”の次元にとどまらせず、
独特の「タケミツ・トーン」と呼ばれる独自の音響へ帰結した。
これはモートン・フェルドマンのいう「オーケストラにペダルをつける」とも表現される。
1996年2月20日、膀胱がんの為逝去。享年65。晩年監修を務め、
彼の死後完成した東京オペラシティのコンサートホールはタケミツ・メモリアルの名が冠せられた。
生没年: 1930年10月 8日 誕生
1996年 2月20日 没(享年65歳)
武満徹
| 主要作品一覧 |
| <管弦楽曲> |
| 弦楽のためのレクイエム |
1957年 |
| ノヴェンバー・ステップス |
1967年 |
| 遠い呼び声の彼方へ! |
1980年 |