クラシック・インフォメーション
クラシック・インフォメーション
Copyright(C)2006 クラシック・インフォメーション All Right Reserved.
7F
6F
5F
4F
3F
2F
1F
TOP
Sponsored by Amazon.co.jp
Sponsored by iTunes
8F

1F

049
生涯
生没年: 1882年6月5日 誕生
1971年4月6日 没(享年89歳)
出身地: ロシア/オラニエンバウム
Igor Fyodorovitch Stravinsky
| 主要作品一覧 | |
| <バレエ> | |
| 火の鳥 | 1910年 |
| ぺトルーシュカ | 1911年 |
| 春の祭典 | 1913年 |
ストラヴィンスキーはペテルブルク近郊のオラニエンバウム(現在のロモノソフ)に生まれた。
父フョードルはペテルブルク・マリインスキー劇場のバス歌手で、
家には図書館並みの20万冊もの蔵書を持っていた。
ストラヴィンスキーは父の希望する法律を学ぶ為に大学に入った。しかし在学中に作曲家となる意思を固める。
大学在学中、大学で知り合った友の父であるリムスキー=コルサコフに作曲法と管弦楽法を学ぶ。
1906年、エカチェリーナ・ノセンコと結婚。
1908年、『幻想的スケルツォ』と『花火』が初演され、ロシア・バレエ団の主宰者セルゲイ・ディアギレフに認められる。
このディアギレフより依頼を受けてストラヴィンスキーの作品の中で最も有名なバレエ3部作が作られる。
1910年、ロシア・バレエ団の為の第1作『火の鳥』がパリのオペラ座で初演し、大成功。
1911年には第2作『ペトルーシュカ』が委嘱され、これも成功を収める。
そして1913年、第3作『春の祭典』がパリで初演される。
が、あまりにも革新的すぎる曲だったため、賛否両論を起こす一大スキャンダルとなる。
これら3作によってストラヴィンスキーの名は有名作曲家として確立する。
1914年、第一次世界大戦勃発とともにスイスに居を定める。
1917年にはロシアの十月革命により故国の土地は革命政府に没収される。
これを機にストラヴィンスキーはフランスへと亡命する。
この頃から新古典主義の時代といわれ、バロック音楽への回帰を見せ始める。
この年パリで初演した『プルチネルラ』を始めとして、『詩篇交響曲』などを作曲。
1939年、第2次大戦の戦火が激化する中、フランスを離れアメリカへと亡命する。
アメリカではハーバード大学で教鞭をとる。その後ハリウッドに住む。
晩年はこれまで否定的だった12音技法を採用して新たな曲を創る。
1969年、ニューヨークに転居。その後1971年4月6日に89歳で没する。
ディアギレフの眠るヴェネツィアのサン・ミケーレ島に埋葬された。