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人生の約半分を39曲ものオペラを作曲した大音楽家として、
残りの人生を美食家として過ごした異質な作曲家である。
彼は「才能のある怠け者」と呼ばれていたこともあった。

ロッシーニはイタリアのアドリア海に面したペーザロで音楽一家に生まれた。
父親は食肉工場の検査官をしながらトランペット奏者をしており、また、母はパン屋の娘で歌手であった。
早くから両親から音楽教育を受けたロッシーニは、8歳の時にボローニャに移り、ボローニャ音楽学校で学ぶ。

ロッシーニは10代終わりの頃からオペラの作曲を始める。
21歳の頃の作品『タンクレーディ』でいちやくイタリア最高の作曲家との評判を得て、
24歳のときの作品『セビリアの理髪師』でヨーロッパ中にその名声がとどろいた。
彼はイタリアオペラ界で最も人気のある作曲家となった。
ちなみに、彼の作曲する曲は、自身の曲からの転用が多く、
例えば『セビリアの理髪師』序曲は、『パルミーラのアウレリアーノ』、『イングランドの女王エリザベッタ』の序曲
を丸ごと再々利用している。このような曲が軽く10曲を超えるというから驚きである。

フランス国王シャルル10世の即位に際して、記念オペラ・カンタータ『ランスへの旅』を作曲、
国王に献呈し、「フランス国王の第一作曲家」の称号と終身年金を得る。
37歳で『ウィリアム・テル』発表後、オペラ界から引退を表明。
この後、数曲の小品を残すものの、全くオペラは作らなかった。

引退後、年金での自由奔放な暮らしを始める。高級レストランを経営したり、養豚業も営んでいた。
常に新作料理を考案する毎日で、おかげで痛風、糖尿などの生活習慣病やなんと性病にまでかかっていた。
フランス料理によくある「○○のロッシーニ風」とは、彼の名前から取られた料理の名前である。
また、料理の名前を付けたピアノ曲も作っている。
この頃のロッシーニは自身を「競争相手のいない四流ピアニスト」と呼んでいた。

晩年は様々な生活習慣病に悩まされながらも、自宅にゲストを招き、
食通晩餐会や音楽の夕べなるパーティーを開いて楽しんでいた。

1868年に直腸癌になり、手術を受けたが、それによる丹毒に感染して生涯を閉じた。
現在はイタリアのサンタクローチェ教会に眠る

生涯

生没年: 1792年 2月29日 誕生
      1868年11月13日 没(享年76歳)

出身地: イタリア/ペーザロ

Gioachino Antonio Rossini
ジョアキーノ・ロッシーニ
主要作品一覧
<オペラ>
アルジェのイタリア女 1813年
セビリャの理髪師 1816年
チェネレントラ 1817年
セミラーミデ 1823年
ウィリアム・テル 1829年
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