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生没年: 1844年3月18日 誕生
1908年6月21日 没(享年64歳)
Николай Андреевич Римский-Корсаков
ニコライ・リムスキー=コルサコフ
| 主要作品一覧 |
| <管弦楽曲> |
| スペイン奇想曲 |
1887年 |
| 交響組曲「シェヘラザード」 |
1888年 |
ティフヴィンに軍人貴族の家庭に生まれる。12歳でサンクト・ペテルブルクの海軍兵学校に入学し、
ロシア海軍に進んで艦隊による海外遠征も体験した。
1859年からピアノを始め、1861年にバラキレフと出会って、真剣に作曲に打ち込むようになる。
バラキレフとの出会いによって、後の「五人組」となる他の作曲家とも面識を得た。
1871年、それまで音楽や作曲については、
独学や、「五人組」の仲間内での集団学習だけだったにもかかわらず、
ペテルブルク音楽院から作曲と管弦楽法の教授に任命される。
その翌年に、ナジェージダ・プルゴリドと結婚。ナジェージダ自身も作曲家で、ピアニストであった。
1873年に軍籍離脱。
1883年から1894年まで、宗務局(宮廷礼拝堂)においてバラキレフの助手となる。
指揮者としても活動し、豪商ミトロファン・ベリャーエフの後援する「ロシア交響楽演奏協会」を指導したほか、
外国でも演奏活動を行なった。
リムスキー=コルサコフはロシア帝国の近代化の立ち遅れに批判的で、
学生の革命運動にも同情的であった。
1905年に、政府批判を行なったためにペテルブルク音楽院の院長職および教授職を解雇されるが、
これが口火となり、彼を慕う多くの同僚(グラズノフやリャードフら)によって、
相次いで辞職騒ぎが引き起こされ、結果的にリムスキー=コルサコフは復職することとなった。
リムスキー=コルサコフは最晩年には狭心症を患っており、
1908年にリューベンスクにて他界し、サンクト・ペテルブルクの
アレクサンドル・ネフスキー大修道院のティフヴィン墓地に埋葬された。
ナジェージダ未亡人は、余生を亡父の遺産の管理にささげた。