クラシック・インフォメーション
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生涯
生没年: 1875年 3月 7日 誕生
1937年12月28日 没(享年62歳)
出身地: フランス/シブール
| 主要作品一覧 | |
| <バレエ> | |
| ダフニスとクロエ | 1912年 |
| <管弦楽曲> | |
| ボレロ | 1928年 |
| 管弦楽のための舞踏詩 「ラ・ヴァルス」 |
1920年 |
| スペイン狂詩曲 | 1908年 |
| <ピアノ> | |
| 亡き王女のためのパヴァーヌ | 1902年 |
| マ・メール・ロワ | 1910年 |
| 鏡 | 1905年 |
| 夜のガスパール | 1908年 |
| クープランの墓 | 1917年 |
1875年、ラヴェルはフランス南西部、
スペインにほど近いバスク地方のビアリッツ近郊にある町シブールで生まれた。
母マリーはバスク人で、父ジョーゼフはスイス出身の発明家兼実業家であった。
この母の出身地がラヴェル自身の異国趣味的な作曲
(オペラ「スペインの時」、スペイン狂詩曲、亡き王女のためのパヴァーヌ)
に影響を与えていると考えられている。ラヴェルが生後3ヶ月の時に一家はパリへ移住。
1882年からピアノを学び、1887年頃からは作曲も始めている。
1889年のパリ万博ではジャワのガムラン音楽に強く惹かれる。
その後、パリ音楽院へと入学する。
音楽院で14年の間、ガブリエル・フォーレの下で学んだラヴェルは、
有名なローマ大賞を勝ち取ろうと試みる。
しかし落選を繰り返し、4度目では年齢制限を理由に予選すら通過しなかった。(ラヴェル事件)
このラヴェル事件をきっかけにスキャンダルとなり、
当時パリ音楽院院長のテオドール・テュボアは辞職に追い込まれる事態となった。
その後、「スペイン狂詩曲」や、ロシア・バレエ団のセルゲイ・ディアギレフの委嘱により「ダフニスとクロエ」を作曲する。
第一次世界大戦中、ラヴェルは空軍に志願する。
しかしラヴェル虚弱体質から、空軍入りは認められず、代わりにトラック運転手として兵籍登録されることとなる。
しかし、赤痢や凍傷にかかるなどして苦しんだ。
大戦で友人たちを失ったラヴェルはその死を悼み、「クープランの墓」を作曲した。
その後、フランス政府が彼にレジオンドヌール勲章を授与したが、ラヴェルはこれを拒否した。
1917年、最愛の母が亡くなる。これをきっかけにラヴェルはパリの家を引き払い、「あばら家」を探す。
1921年にヴェルサイユ近郊のモンフォール=ラモーリに見晴らしの良い家を見つけ購入。
ここは「ラヴェルの人形の家」と友人たちに呼ばれ親しまれた。
1928年、ラヴェルは初めてアメリカでピアノによる演奏旅行を行った。
ニューヨークでは彼はスタンディングオベーションを受けた。
同年、オックスフォード大学はラヴェルに名誉博士号を与えた。
1932年、パリでタクシー乗車中に自動車事故に遭う。
この事故が元でラヴェルは著しく体調を崩し、その後遺症と精神障害にも苦しめられる。
1937年、彼が望みを賭けていた手術が失敗し、まもなく世を去った。享年62歳。遺体はレバロワ・ペレに埋葬された。