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R・シュトラウスは、1864年6月11日にドイツのミュンヘンで、
ミュンヘン宮廷歌劇場の首席ホルン奏者であったフランツの子として生まれた。
リヒャルトは、幼いときから父親によって、徹底された、
しかし保守的な(父親はブラームス信奉者だった)音楽教育を受け、
非常に早い時期から作曲を始めた。 1882年にミュンヘン大学に入学。
1年後にベルリンに移り、ハンス・フォン・ビューローの補助指揮者に、
1885年にビューローがミュンヘンで辞任するとその後を継いだ。
彼の指揮者としての才能はこの頃から現れていたとされる。

アレクサンダー・リッターと出会ってから、それまで保守的だった彼の音楽は一変することになる。
ワーグナーなりストの音楽に理解を示すようになり、1888年には交響詩『ドン・ファン』を作曲。
この作品に対する聴衆の反応は、半数は喝采したものの、残り半数からは野次が飛んだ。
シュトラウスはこの後『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』、
『ツァラトゥストラはこう語った』などの交響詩を作曲する。

1905年にオスカー・ワイルドの戯曲のドイツ語訳にそのまま作曲した『サロメ』を初演する。
この作品は空前の反響を呼んだ。聖書を題材にしていることや、
内容的にもエロチックな面もあり、上演禁止になったところも多く、
ニューヨークのメトロポリタン歌劇場がこの作品を公開すると、
たった一回の上演で公演中止になったほどであった。
1910年には『ばらの騎士』を作曲。圧倒的な大衆的成功をおさめた。

1930年代以降におけるナチス政権下のドイツにおいて、
シュトラウスは政治との関わりを強めていく。帝国音楽院総裁に就任し、
当局の要請に応じ、音楽活動を行うなど、ナチス政権の意向に沿っているかと思えば、
シュトラウスの息子の嫁がユダヤ人であったり、オペラ『無口な女』の初演のポスターから、
ユダヤ人台本作家シュテファン・ツヴァイクの名前を外す事を拒否したり、
ユダヤ人の友人や同僚達を保護しようとしたりしていた。
シュトラウスは第二次世界大戦終結後にナチスに協力したかどうかで非ナチ化裁判にかけられたが、
最終的に無罪となった。

1949年9月8日、心臓病で彼はドイツのガルミッシュ=パルテンキルヒェンで没した。
遺言により葬儀では『ばらの騎士』第三幕の三重唱が演奏された。

生涯

生没年: 1864年6月11日 誕生
      1949年9月 8日 没(享年85歳)

出身地: ドイツ/ミュンヘン

Richard Georg Strauss

リヒャルト・シュトラウス
主要作品一覧
<オペラ>
サロメ 1905年
エレクトラ 1908年
ばらの騎士 1910年
<管弦楽曲>
アルプス交響曲 1915年
交響詩「ドン・ファン」 1888年
交響詩「ティル・オイレンシュピーゲル
           の愉快ないたずら」
1895年
交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」 1896年
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