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プッチーニは1858年12月22日イタリアのルッカに生まれた。
プッチーニ家は、18世紀から連綿と続くルッカの宗教音楽家の家系であった。
14歳の時に教会のオルガニストとなり、宗教音楽家としての道を歩もうとしていた。
そんなプッチーニに転機が訪れたのは18歳の時。ジュゼッペ・ヴェルディのオペラ≪アイーダ≫の上演に触れ、
オペラ作曲家を志した。
1880年〜1883年までミラノ音楽院にてアミルカーレ・ポンキエッリとアントーニオ・バッジーニに師事。
1882年に、≪妖精ヴィリー≫が1884年に舞台化され、
出版社リコルディ社社長、ジュリオ・リコルディに注目される。
その後、マスネのオペラ『マノン』を見たプッチーニは、
同じ題材を用いた第3作目のオペラ≪マノン・レスコー≫を発表。
これは大成功し、これをきっかけに、台本作家ルイージ・イリカとジュゼッペ・ジャコーザと知り合った。
この2人の協力を得て、≪ラ・ボエーム≫と≪トスカ≫、≪蝶々夫人≫の3曲が書かれた。
≪ラ・ボエーム≫と≪トスカ≫は大成功したが、≪蝶々夫人≫は不評で1日で上演が打ち切られた。
しかし、プッチーニ自身がかなり大掛かりに手直しし、後に成功を収める。
それからしばらくは自身の交通事故や身内の不幸、妻の裁判などで作曲が進まなかった。
1910年にアメリカを題材にした≪西部の娘≫を完成させ、
ニューヨークのメトロポリタン歌劇場にて大成功をおさめる。
その後、≪外套≫、≪ジャンニ・スキッキ≫、≪修道女アンジェリカ≫の3作を
一幕オペラの三部作として同時に初演した。
最後の作品となった中国を舞台にした≪トゥーランドット≫は「リューの死」まで作曲していたが、
喉頭癌で治療のために滞在中のブリュッセルで、合併症から急死した。
≪トゥーランドット≫はプッチーニのスケッチをもとにアルファーノの手によって補筆され、
1926年トスカニーニによって初演された。
生没年: 1858年12月22日 誕生
1924年11月29日 没(享年65歳)
Giacomo Antonio Domenico
Michele Secondo Maria Puccini
ジャコモ・プッチーニ
| 主要作品一覧 |
| <オペラ> |
| マノン・レスコー |
1893年 |
| ラ・ボエーム |
1896年 |
| トスカ |
1900年 |
| 蝶々夫人 |
1904年 |
| ジャンニ・スキッキ |
1918年 |
| トゥーランドット |
1926年 |