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プロコフィエフは1891年4月23日、当時ロシア帝国領(現ウクライナ)のソンツォフカに生まれた。
5歳の頃初めて作曲をしたとされている。ピアノと作曲の勉強は幼少の頃から行われていたと思われる。

1904年、13歳の時にペテルブルク音楽院に入学。リャードフ(1855-1914)、ヴィンクレル(1865-1935)、
リムスキー=コルサコフらに学ぶ。
1909年には音楽院の作曲科の課程を修了。この後、同音楽院でピアノ、指揮を学ぶ。
1914年にピアノ科と指揮科を終了。この頃、ディアギレフ、ストラヴィンスキーら作曲家に出会う。
1917年には『交響曲第1番「古典」』を作曲する。

1918年、『交響曲第1番』の初演を果たした直後、プロコフィエフはロシア革命を逃れるため、
米への亡命を決意し、シベリアから日本経由でアメリカへと渡った。
1919年にはオペラ『3つのオレンジへの恋』を作曲。
アメリカやヨーロッパ各地で作曲家、指揮者、ピアニストととして活動するが、思うような評価が得られず、
1934年、ソビエトでの帰国永住を決め、ソビエトに戻る。

ソビエトに戻ってからは当時ソビエトの「具体的素材による平明単純な音楽を大衆に伝える」という
「社会主義リアリズム」の影響からか『ピーターと狼』や『子供の音楽』など子供のための作品を多く作曲している。
また、この頃にはバレエ『ロメオとジュリエット』、『シンデレラ』なども作曲している。

1946年、病気を患っていたプロコフィエフは症状が重くなったため、ニコーリナに移る。
この年、『交響曲第5番』、『ピアノ・ソナタ第8番』、『イワン雷帝』第1部、バレエ『シンデレラ』にスターリン賞が贈られる。 1947年には『ヴァイオリン・ソナタ第1番』に同賞が贈られる。

1948年、プロコフィエフはショスタコーヴィチらと共に批判の対象となる。
1949年には病状が悪化、また友人の度重なる訃報を知り、精神的にも多大なショックを受ける。

1952年、最後の交響曲である『交響曲第7番「青春」』を完成。
1953年、3月5日午後6時、突然脳出血による呼吸困難に陥り死去。
3月7日、モスクワ作曲家中央会館にて葬儀。
ちなみに、プロコフィエフの死はスターリンの死と同じ日であった。

生涯

生没年: 1891年4月23日 誕生
      1953年3月 5日 没(享年62歳)

出身地: ロシア/ソンツォフカ

Sergei Sergeevich Prokofiev
セルゲイ・プロコフィエフ
主要作品一覧
<交響曲>
交響曲第1番「古典」 1917年
交響曲第7番「青春」 1952年
<管弦楽曲>
ピーターと狼 1936年
<オペラ>
3つのオレンジへの恋 1919年
<バレエ>
ロメオとジュリエット 1936年
シンデレラ 1944年
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