クラシック・インフォメーション
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生涯
生没年: 1839年3月21日 誕生
1881年3月28日 没(享年42歳)
出身地: ロシア/カレヴォ
Modest Petrovich Mussorgsky
| 主要作品一覧 | |
| <オペラ> | |
| ボリス・ゴドゥノフ | 1873年 |
| <管弦楽曲> | |
| 交響詩「禿山の一夜」 | 1867年 |
| 展覧会の絵(ラヴェル編) | 1922年 |
ムソルグスキーはプスコフ州カレヴォの富裕な地主階級に生まれる。6歳から母にピアノを習い始めた。
10歳の時にサンクトペテルブルクに上京、エリート養成機関ペーターシューレに入学。
ムソルグスキーは武官になりたいと思っており、13歳で近衛師団士官候補生教練所に進む。
1856年に教練所を卒業し、プレオブラジェンスキー連隊に就役するが、
それまでに歴史学に興味を持ち、ドイツ哲学も学んでいた。
それから2年間のうちに、ダルゴムイシスキー、スターソフ、バラキレフ、キュイと出会う。
バラキレフからは作曲を学ぶ。1858年、内面の危機に襲われ軍務を退役する。
1861年、農奴解放が行われ、ムソルグスキー家は荘園の半分を収奪され、
ムソルグスキー自身は、その間カレヴォに過ごして、一家の没落を食い止めようとしたものの、不可能であった。
1860年代中頃、ペテルブルクに戻り、下級官吏として生計を立てる。
1865年に母親が没すると、ムソルグスキーはだんだんとアルコール依存症に蝕まれていく。
1867年、『禿山の一夜』の初稿が完成されたが、バラキレフはこれを批判し、
指揮することを拒んだため、ムソルグスキーの存命中には上演されなかった。
文官としての職務は、決して安定していなかったし、保障されてもいなかった。
それでもムソルグスキーはさまざまな地位に就き、早くに昇進さえしている。
だが1867年になると「余剰人員」と宣告され、出勤しても無報酬であった。
1867年、「ロシア五人組」の1員となる。
29歳のムソルグスキーはボリース・ゴドゥーノフの物語をもとにオペラの作曲をはじめる。
プーシキンの戯曲やカラムジンの歴史物語を集めて台本を構成し、翌年まだ林務局に在任中に、
壮大なオペラ『ボリス・ゴドゥノフ』を書き上げた。
1871年に提出されるが、歌劇場から上演拒否を言い渡されると、ムソルグスキーは改訂に取り掛かり、
より大掛かりな「第2稿」を完成させる。『ボリス・ゴドゥノフ』は1872年に受理され、
1873年にはマリインスキー劇場で抜粋上演が行われた。
この頃からアルコール依存症が関係している「狂気の発作」が見受けられるようになる
文官としての仕事は、病気や欠席のためにいっそう不安定になったが、その後内務省に転職し、演奏活動を続けた。
しかし1880年についに公務員の地位を追われる。
1881年初頭に、4度の心臓発作に見舞われたムソルグスキーは入院させられ、誕生日からわずか1週間後、亡くなる。