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042

マーラーは出自に関して、「私はどこに行っても歓迎されない。
“オーストリアにおけるボヘミア人”、“ドイツにおけるオーストリア人”、
そして“世界におけるユダヤ人”だから。」と述べたと伝えられる。
チェコに生まれながら人生のほとんどをウィーンで過ごしたマーラーにとって、
このコンプレックスは生涯持ち続けていたとされる。

1860年7月7日、父ベルンハルト・マーラーと母マリー・ヘルマンの15人とも言われる子供の第2子として、
オーストリア領ボヘミアの、イーグラウ(現チェコのイフラヴァ)近郊のカリシュト村に出生する。

15歳の時にウィーンへ移り、ウィーン楽友協会音楽院に入学。
1877年にはウィーン大学にてアントン・ブルックナーの対位法の講義を受け、2人の間に深い交際が始まる。
この後10年間は常に貧乏な生活に悩まされ続けていたとされる。

1888年、交響曲第1番「巨人」作曲。10月ブダペスト王立歌劇場の芸術監督となる。
同歌劇場の劇場監督と不仲になり、去る。1891年4月にはハンブルク市立劇場の正指揮者となる。
1897年5月、ウィーン宮廷歌劇場指揮者に任命され、10月に芸術監督となる。
そして1898年ウィーン・フィルハーモニーの指揮者となる。

1902年3月、アルマ・シントラー(23歳)と結婚。

1904年4月シェーンベルクとツェムリンスキーがウィーンに創造的音楽家協会を設立し
マーラーを名誉会長とする。
1907年12月メトロポリタン・オペラから招かれ渡米。交響曲第8番「千人の交響曲」完成。
1909年ニューヨーク・フィルハーモニックの指揮者となる。

1911年2月、アメリカで心内膜炎と診断され、病躯をおしてウィーンに戻るが、
5月18日、敗血症のため息を引き取った。最後の言葉は「モーツァルト・・・」だったという。

生涯

生没年: 1860年7月 7日 誕生
      1911年5月18日 没(享年51歳)

出身地: チェコ/カリシュト

Gustav Mahler
グスタフ・マーラー
主要作品一覧
<交響曲>
交響曲第1番「巨人」 1886年
交響曲第2番「復活」 1894年
交響曲第5番 1902年
交響曲第8番「千人の交響曲」 1906年
大地の歌 1909年
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