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マーラーは出自に関して、「私はどこに行っても歓迎されない。
“オーストリアにおけるボヘミア人”、“ドイツにおけるオーストリア人”、
そして“世界におけるユダヤ人”だから。」と述べたと伝えられる。
チェコに生まれながら人生のほとんどをウィーンで過ごしたマーラーにとって、
このコンプレックスは生涯持ち続けていたとされる。
1860年7月7日、父ベルンハルト・マーラーと母マリー・ヘルマンの15人とも言われる子供の第2子として、
オーストリア領ボヘミアの、イーグラウ(現チェコのイフラヴァ)近郊のカリシュト村に出生する。
15歳の時にウィーンへ移り、ウィーン楽友協会音楽院に入学。
1877年にはウィーン大学にてアントン・ブルックナーの対位法の講義を受け、2人の間に深い交際が始まる。
この後10年間は常に貧乏な生活に悩まされ続けていたとされる。
1888年、交響曲第1番「巨人」作曲。10月ブダペスト王立歌劇場の芸術監督となる。
同歌劇場の劇場監督と不仲になり、去る。1891年4月にはハンブルク市立劇場の正指揮者となる。
1897年5月、ウィーン宮廷歌劇場指揮者に任命され、10月に芸術監督となる。
そして1898年ウィーン・フィルハーモニーの指揮者となる。
1902年3月、アルマ・シントラー(23歳)と結婚。
1904年4月シェーンベルクとツェムリンスキーがウィーンに創造的音楽家協会を設立し
マーラーを名誉会長とする。
1907年12月メトロポリタン・オペラから招かれ渡米。交響曲第8番「千人の交響曲」完成。
1909年ニューヨーク・フィルハーモニックの指揮者となる。
1911年2月、アメリカで心内膜炎と診断され、病躯をおしてウィーンに戻るが、
5月18日、敗血症のため息を引き取った。最後の言葉は「モーツァルト・・・」だったという。
生没年: 1860年7月 7日 誕生
1911年5月18日 没(享年51歳)
Gustav Mahler
グスタフ・マーラー
| 主要作品一覧 |
| <交響曲> |
| 交響曲第1番「巨人」 |
1886年 |
| 交響曲第2番「復活」 |
1894年 |
| 交響曲第5番 |
1902年 |
| 交響曲第8番「千人の交響曲」 |
1906年 |
| 大地の歌 |
1909年 |