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生涯

生没年: 1811年10月22日 誕生
      1886年 7月31日 没(享年74歳)

出身地: ハンガリー/ライディング

Franz Liszt

フランツ・リスト
主要作品一覧
<管弦楽曲>
交響詩「前奏曲」 1848年
<ピアノ>
超絶技巧練習曲集 1851年
ハンガリー狂詩曲集 1885年

両親はドイツ人だが、リスト本人はハンガリーにて生まれる。6歳からピアノを学び、9歳で早くも才能を現す。
10歳になる前にすでに公開演奏会を行っていた。

1822年にウィーンに移住し、カール・ツェルニーやアントニオ・サリエリに師事する。
1823年にはパリへ行き、パリ音楽院へ入学しようとしたが、当時の院長ルイジ・ケルビーニは、
リストが外国人であるという理由で入学を拒否。
そのため、リストはフェルディナンド・パエールとアントン・ライヒャに師事する。

1831年にニコロ・パガニーニの演奏を聴いて感銘を受け、自らも超絶技巧を目指した。
同時代の人に、ルイ=エクトル・ベルリオーズ、フレデリック・ショパン、ロベルト・シューマンがいて親交が深く、
またベルリオーズやショパンからは音楽的にも大いに影響を受けた。

ピアニストとしては当時のアイドル的存在でもあり、女性ファンもたくさんいた。
このようなことも影響して、経済的な困窮には無縁であった。また多くの女性と恋愛関係を結んだ。
特に、マリー・ダグー伯爵夫人と恋に落ち、1835年にスイスへ逃避行ののち、約10年間の同棲生活を送る。
2人の間には3人の子供が産まれ、その1人がのちに、指揮者ハンス・フォン・ビューローの、
さらにリヒャルト・ワーグナーの妻になるコジマである。

マリーと別れた後、1848年にヴァイマルから宮廷楽長として招かれた。
当地でカロリーネ・フォン・ザイン=ヴィトゲンシュタイン侯爵夫人と恋し同棲した。
彼女とは正式の結婚を望んだがドイツ系ロシア人の夫が離婚に応じなかったため、結婚は出来ていない。

1861年にリストはローマで僧籍に入る。1865年には大修道院長の称号を得て、生涯独身を貫いた。

リストは、晩年には虚血性心疾患、慢性気管支炎、鬱病、白内障など苦しめられた。
リストは1886年、バイロイトでワーグナーの楽劇『トリスタンとイゾルデ』を見た後に肺炎と心筋梗塞で亡くなり、
バイロイトの墓地に埋葬された。

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