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1914年、北海道釧路町(現釧路市)に生まれる。
父は警察署長や音更村(現音更町)村長を務めた伊福部利三。独学で音楽の勉強を始める。
札幌第二中学(現北海道札幌西高等学校)を経て、
1935年北海道帝国大学(現北海道大学)農学部林学実科卒業。
大学を卒業した1935年、アメリカの指揮者フェビアン・セヴィツキーの依頼により『日本狂詩曲』を作曲し、
ボストンへ送る。また同年、パリのアレクサンドル・チェレプニン賞に応募。
伊福部が第1位に入賞し、世界的評価を得る。同曲は翌年、
セヴィツキー指揮、ボストン・ピープルス交響楽団によりアメリカで初演され、好評を得た。
これを機に初演の年来日したチェレプニンに短期間師事する。
1935年から厚岸森林事務所に林務官として勤務し、アツケシザクラを発見した。
1940年に林務官を辞め北海道帝国大学の演習林事務所に勤務。
1945年には、帝国林野局林業試験場に戦時科学研究員として勤務。
放射線による木材強化の研究に携わるが、当時は防護服も用意されず、
無防備のまま実験を続け、放射線障害を負うことになった。日本の敗戦と同時に病に倒れ、職を辞す。
同時に職業作曲家となるべく上京。
上京後は1946年から1953年まで東京音楽学校(現東京藝術大学)作曲科講師を勤める。
生徒には芥川也寸志、黛敏郎などがいた。
また、東宝の映画音楽の作曲にも携わった。『ゴジラ』のテーマ曲をはじめ、
『座頭市』『ビルマの竪琴』など多くの映画音楽をてがけた。
1974年東京音楽大学教授就任、1976年同大学長、
1987年同大民族音楽研究所所長を経て、同大名誉教授に就任。
また著作にである『管絃楽法』は上下巻1500ページ強にもおよび、
日本の作曲教育の名教科書として使用されている。
2003年文化功労者。1980年紫綬褒章。1987年勲三等瑞宝章。1996年日本文化デザイン大賞を受賞している。
2003年頃から体調を崩し始め、2006年1月19日に腸閉塞のため入院。
2006年2月8日、多臓器不全のため東京都目黒区の病院で死去。
生没年: 1914年5月31日 誕生
2006年2月 8日 没(享年91歳)
伊福部昭
| 主要作品一覧 |
| <管弦楽曲> |
| 日本狂詩曲 |
1935年 |
| シンフォニア・タプカーラ |
1954年 |
ピアノと管弦楽のための
リトミカ・オスティナータ |
1961年 |
| SF交響ファンタジー第1番 |
1983年 |