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チェコ国民楽派を代表する作曲家であり、後期ロマン派の中でも一際人気の高いドヴォルザークは、
1841年ボヘミアのプラハ近郊の町ミュールハウゼン・アン・デア・モルダウ
(現チェコ・ネラホゼヴェス)で肉屋の長男として生まれた。
父親はドヴォルザークを肉屋の修行をさせようとしたが、
ドヴォルザークの音楽の才能を見抜いた周りの人々の薦めもあって、
決して裕福な家庭ではなかったが、ドヴォルザークをプラハのオルガン学校へと入学させた。
卒業後は、地元の楽団にヴィオラ奏者として入団、ホテルやレストランで演奏を行っていたが、1862年チェコ人による国民劇場建設が
具体的に決まり、ドヴォルザークは、そのオーケストラのヴィオラ奏者となった。
1866年、このオーケストラの指揮者としてスメタナが迎えられ、その教えを直接受ける機会を得た。
これはドヴォルザークにとって非常に貴重な出会いとなる。
また、ドヴォルザークは熱狂的なワグネリアンであり、ワーグナーの影響を強く残した作品を数多く残している。
ドヴォルザークは1871年に、作曲のためにオーケストラを辞し、個人レッスンで生計を立てることにした。
知名度も徐々に得られるようになり、また結婚、経済的な安定もあり、ドヴォルザークの生活は徐々にではあるが安定してきた。
この頃からは以前のようなワーグナーに影響を受けた作品は影を薄めていった。
ドヴォルザークは1877年にオーストリア政府の国家奨学金審査のために『モラヴィア二重唱曲集』を提出した。
審査員を務めていたブラームスはこの曲に目をとめ、ベルリンの有力出版社ジムロックを紹介した。
1878年、ドヴォルザークはウィーンにブラームスを訪ね、
翌年にはブラームスがプラハのドヴォルザークの許を訪ねるという具合に親交が始まった。
ジムロックは、1878年にドヴォルザークに、『スラブ舞曲』の作曲を依頼した。この依頼に応えて作曲された作品集は、
「神々しい、この世ならぬ自然らしさ」(ベルリン国民新聞)との絶賛を受け、ドヴォルザークの名はヨーロッパ中に広く知れわたった。
1884年3月、ドヴォルザークはロンドン音楽協会の招きで初めてイギリスを訪問した。
1884年の6月にはイギリス楽友協会の名誉会員に推薦されるとともに新作交響曲の依頼を受け、
これに応えて作曲されたのが交響曲第7番である。ドヴォルザークとイギリスの関係はこの後も続き、生涯9回ものイギリス訪問をしている。
1890年、ドヴォルザークは交響曲第8番を完成させる。しかしこの頃ドヴォルザークとジムロックとの関係は冷えきっており、
ドヴォルザークは、ロンドンの出版社ノヴェロ社にこの新作交響曲を渡してしまった。このため、この交響曲は別名「イギリス」と呼ばれる。
1891年春、ニューヨーク・ナショナル音楽院の創立者であり理事長だったジャネット・サーバーから
ドヴォルザークに音楽院院長職への就任依頼が届いた。
1892年ブレーメンから船に乗り、9月27日にニューヨークに到着した。
1893年1月に着手した交響曲第9番「新世界より」は5月24日に完成するが、
4月14日付けの友人宛の手紙の中でドヴォルザークは「この作品は以前のものとは大きく異なり、わずかにアメリカ風である。」と書いている。
1894年、サーバー夫人の夫(ナショナル音楽院最大のパトロンだった)が1893年恐慌のあおりを受け破産寸前に追い込まれていたことから、
ドヴォルザークへの報酬も支払遅延が恒常化しつつあった。
11月8日からチェロ協奏曲に着手し、翌1895年2月9日にこれを完成させるが、ドヴォルザークはサーバー夫人に辞意を伝え、
周囲の説得にもかかわらず、4月16日にアメリカを去ったのである。
帰国後、1895年11月1日、ドヴォルザークはプラハ音楽院で再び教鞭を執り、この頃、作曲も再開した。
1896年3月、最後となる9回目のイギリス訪問を果たす。この直後、ブラームスからウィーン音楽院教授就任の要請を受けるが、これを断った。
その後、ドヴォルザークはオペラの作曲に没頭するようになる。1901年に初演された『ルサルカ』は大成功を収める。
1904年5月1日、昼食の際気分が悪いと訴えたドヴォルザークは、ベッドに横になるとすぐに意識を失い、そのまま息を引き取った。
葬儀はその4日後、5月5日に国葬として行われた。
生没年: 1841年9月8日 誕生
1904年5月1日 没(享年62歳)
出身地: チェコ/
ミュールハウゼン・アン・デア・モルダウ
(現ネラホゼヴェス)
アントニン・ドヴォルザーク
| 主要作品一覧 |
| <交響曲> |
| 交響曲第7番 |
1885年 |
| 交響曲第8番「イギリス」 |
1889年 |
| 交響曲第9番「新世界より」 |
1893年 |
| <管弦楽曲> |
| スラヴ舞曲第1集 |
1878年 |
| スラヴ舞曲第2集 |
1887年 |
| <協奏曲> |
| チェロ協奏曲 |
1895年 |
| <ピアノ> |
| ユモレスク |
1894年 |