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032

フランス印象派の大家、ドビュッシーは1862年8月22日、
父マニュエルと母ヴィクトリーヌ・マヌリの間の長男として、フランスのサン・ジェルマン=アン・レーに生まれる。
1872年、パリ音楽院へ入学。パリ音楽院にはローマ大賞を受賞するまでの12年間在籍する。
音楽院ではピアノをマルモンテル、ソルフェージュをラヴィニャック、和声学をデュラン、作曲法をギローに師事する。

1884年、カンタータ『放蕩息子』にてローマ大賞を獲得する。
1885年から2年間、ローマ大賞の副賞でローマのヴィラ・メディチで留学生活に入る。
しかし、ドビュッシーは義務最低年限の2年を終えると早々に留学を切り上げる。

1889年、パリ万博でインドネシアのガムラン音楽を耳にし、
ヨーロッパ音楽とは異なるその形式の自由さや打楽器的効果、
旋法や和声の響きに強く感銘を受ける。このころから次第に反ワーグナーを志向となっていく。
(ドビュッシーの初期の作品にはワーグナーの影響が認められる。)
この頃、マラルメと交流を始める。 マラルメの主催する「火曜会」にも参加する。

1894年、マラルメへのオマージュである『牧神の午後への前奏曲』作曲。
1899年にはリリー・テクシエと最初の結婚をする。
1902年、メーテルリンクの戯曲を元にしたオペラ『ペレアスとメリザンド』完成。パリで初演する。

1905年、『海』が初演される。リリー・ドビュッシーと離婚。
裕福な銀行家夫人エマと同棲し、愛娘クロード=エマが生まれる。

1915年、癌と診断され、手術を受けるが、ついに1918年、直腸癌のため死去。
3日後、ペール・ラシェーズに埋葬される。

生涯

生没年: 1862年8月22日 誕生
      1918年3月25日 没(享年55歳)

出身地: フランス
       /サン・ジェルマン=アン=レー

Claude Achille Debussy
クロード・ドビュッシー
主要作品一覧
<オペラ>
ペレアスとメリザンド 1902年
<管弦楽曲>
牧神の午後への変奏曲 1894年
1905年
<ピアノ>
喜びの島 1904年
子供の領分 1908年
前奏曲集第1巻 1910年
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