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「ピアノの詩人」と呼ばれるショパンは、1810年(もしくは1809年)
にフランス人の父ニコラとポーランド人の母ユスティナ
の間にワルシャワにて生まれる。
生涯を通して病弱だったが、そのために、
細身で繊細な性格の持ち主だったとされている。
1817年にはアダルベルト・ジウニーよりピアノを習いはじめ、
翌年ワルシャワではじめて公開演奏をしている。
1823年よりユゼフ・エルスネル(ワルシャワ音楽院長)より対位法、和声学を学び始め、
1826年、16歳の時にワルシャワ音楽院に入学する。
1829年にワルシャワ音楽院を首席で卒業、ウィーンで演奏会を開く。
この時の演奏会は好評を博す。
1830年、再びウィーンにて演奏会を行うが、政治事情により上手くいかず、パリ行きを決意。
途上、ワルシャワ蜂起失敗の報に接し「革命のエチュード」を作曲したとの伝説が残っている。
ちなみに、この後、ショパンが母国ポーランドの地を踏むことは二度となかった。
しかし、この後の彼の作曲する曲にポーランドの伝統的なリズムを用いた楽曲
(マズルカ、ポロネーズ)が多いことを考えると、
最後まで母国ポーランドを思い続けていたことが見てとれる。
1832年、パリで初の演奏会を開く。
1835年、かつて親交のあったポーランド人貴族ヴォジンスキ伯爵家のマリアとドレスデンにて再会、
ワルツを献呈する。(後に「別れのワルツ」と呼ばれる)
1836年にマリアに求婚するが実らず。その後、マリ・ダグー伯爵夫人(リストの愛人)のサロンで
ジョルジュ・サンドを紹介される。
1838年よりサンドとの交際が始まる。この後、9年間サンドと生活を共にする。(結婚はしていない。)
この間、ショパンの有名曲は数多く作曲されている。
1847年、ジョルジュ・サンドと別れる。
1849年、39歳の若さにて肺結核のためパリで永眠。パリのペール・ラシェーズ墓地に埋葬される。
しかし、彼の意向により心臓だけはポーランドに持ち帰えられている。(ワルシャワの聖十字架教会)
生没年:1810年3月1日 誕生
(2月22日?、1809年3月1日?)
1849年10月17日 没(享年39歳)
Frederic Francois Chopin
フレデリック・フランソワ・ショパン
| 主要作品一覧 |
| <ピアノ> |
| 夜想曲第20番嬰ハ短調[遺作] |
1830年 |
| 革命のエチュード (12の練習曲 作品10-12 ハ短調) |
1831年 |
| 別れの曲 (12の練習曲 作品10-3 ホ長調) |
1832年 |
| 幻想即興曲 嬰ハ短調[遺作]作品66 |
1834年 |
| 軍隊ポロネーズ イ長調 作品40-1 |
1838年 |
| 前奏曲雨だれ 作品28-15(変ニ長調) |
1839年 |
| ピアノソナタ第2番「葬送」 変ロ短調 作品35 |
1839年 |
| 幻想曲 ヘ短調 作品49 |
1841年 |
| 英雄ポロネーズ |
1842年 |
| 舟歌 嬰ヘ長調 作品60 |
1846年 |
| 小犬のワルツ(ワルツ 変ニ長調 作品64-1) |
1847年 |