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遅咲きの大家として有名なブルックナーは1824年9月4日、
小学校教員兼オルガン奏者を父として、アンスフェルデンで生まれる。
13才より聖フロリアン修道院の少年聖歌隊で歌い、音楽に親しんだ。
1841年に小学校教員になり、このころから作曲を学び始める。そ
の後1845年から聖フロリアン修道院の教師兼オルガン奏者、
1855年からリンツ大聖堂のオルガン奏者に就任。
この間ジーモン・ゼヒター、オットー・キッツラーに学んだ。
30代後半においてもなお、著名な音楽家に音楽教育を求めたことから「万年生徒」とも呼ばれる。
1863年ごろからワーグナーの音楽に傾倒。
そして1868年には、ゼヒターの後任として念願のウィーン音楽大学の教授(音楽理論)に就任。
その年はすでに40代半ばとなっていた。
ブルックナーはオルガン奏者としてはかなりの腕前を持っており、
1869年にフランスで、そして1871年にイギリスで演奏している。
1875年には、ウィーン大学講師に就任。のちに教授に昇格したとき、マーラーが聴講に訪れている。
ブルックナーは、ワーグナーに交響曲第3番を献呈したことで、
ブラームス擁護派の批評家エドゥアルト・ハンスリックから敵対視され、不当な批判を浴びせられ続けた。
ブルックナーは作曲に非常に勤勉である一方、臆病でもあった。
批評や、ちょっとでも気に入らないところがあると、すぐに曲を編曲してしまっている。
そのため、現在ブルックナーの曲にはたくさんの版が存在している。
現在主要な版はハース版とノヴァ−ク版である。
また、ブルックナーは名誉や肩書きに弱く、
ケンブリッジやフィラデルフィアの大学から博士号を得ようと請願し詐欺にもあっている。
1891年にウィーン大学から名誉博士号が授与され、ようやく念願かなった。
ブルックナーは1896年10月11日、ウィーンで72年の生涯を閉じた。
生涯を通じて非常に信心深いローマ・カトリック教徒であり、
また、晩年に至るまで多くの若い女性に求婚したが、結婚することはなかった。
生没年: 1824年 9月 4日 誕生
1896年10月11日 没(享年72歳)
Anton Josef Bruckner
アントン・ブルックナー
| 主要作品一覧 |
| <交響曲> |
| 交響曲第3番「ワーグナー」 |
1873年 |
| 交響曲第4番「ロマンティック」 |
1874年 |
| 交響曲第7番 |
1883年 |
| 交響曲第9番 |
1896年 |