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ロマン派を代表する作曲家であるベルリオーズは、フランス南部のラ・コート=サンタンドレに生まれる。
父は有名な医者であり、ベルリオーズが18歳の時に、医学のためにパリに行かせた。
だが、ベルリオーズは1年後に父親の反対にもかかわらず医学の道を捨て、パリ音楽院に入学した。
ベルリオーズは生まれながらにロマンティックな性格で、幼少の頃からささいなことにも感じやすかったと言われている。
23歳の時、イギリスから来たシェイクスピア劇の劇団の女優でアイルランド人のハリエット・コンスタンス・スミッソンへの片想いは、
非常に情熱的であり、やがて『幻想交響曲』の着想へと膨らんだ。しかし、スミッソンからはこの求愛は断られてしまう。
1830年、ベルリオーズはスミッソンへの想いをそのままに『幻想交響曲』を作曲する。
この曲は「標題音楽」として、歴史的に非常に重要な音楽である。
また、「固定楽想」(イデー・フィクス)を用いたり、それまでには考えられなかった楽器編成などを用いたりと、
当時ではかなり大胆な曲であったことは明らかである。
とりわけ、トランペット、トロンボーン、打楽器はそれまであまり使用されなかっただけに、
楽器編成の観点からみるととりわけこの曲の意味するところは大きい。
また同年には、カンタータ『サルダナパルの最後の夜』でローマ大賞を受賞する。
ローマ大賞の副賞であるローマでの2年間の修行を終えてパリに戻ると、
スミッソンは『幻想交響曲』の演奏を聴きに来た上、ついには結婚に至った。
しかし、2年もすると、2人の関係はたちまち冷え込んでいった。
2人は1841年頃から別居し、1854年に彼女が亡くなると、すでに同棲していた歌手のマリー・レシオと結婚する。
ベルリオーズは決して音楽家、作曲家としては裕福ではなかった。
理由は様々あるが、彼の曲が大編成すぎたということも1つ原因ではあるだろう。
彼は音楽評論家として、新聞「ジョルナル・デ・デバ」に評論を書くことで生計を立てていたと言われている。
他にも何冊か本を出版しており、その中で極めて重要なのが「近代楽器法と管弦楽法」(1844年)である。
この本はR・シュトラウスやマーラーなど、後世の著名な作曲家に多大な影響を与えた。
1869年、ベルリオーズは65歳でその生涯を閉じる。現在、ベルリオーズはモンマルトル墓地において、
2人の妻、ハリエット・スミッソン(1854年逝去)とマリー・レシオ(1862年逝去)とともに眠りに就いている。
生涯
生没年: 1803年12月11日 誕生
1869年 3月 8日 没(享年65歳)
出身地: フランス/ラ・コート=サンタンドレ
Louis Hector Berlioz
| 主要作品一覧 | |
| <交響曲> | |
| 幻想交響曲 | 1830年 |
| イタリアのハロルド | 1834年 |
| ロメオとジュリエット | 1839年 |
| 葬送と勝利の大交響曲 | 1840年 |
| <管弦楽曲> | |
| ローマの謝肉祭 | 1843年 |
| 劇的物語「ファウストの劫罰」 | 1846年 |