クラシック・インフォメーション
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ベルクはウィーンで富裕な商家の子供として生まれた。
15歳の時、父が亡くなった頃から独学で作曲を試みるようになる。
1902年にはベルク家の別荘で働いていた女中、マリー・ショイフルとの間の私生児の父となり、
翌年にはギムナジウムの卒業試験に失敗して自殺を図るなど精神的に不安定な10代後半を送った。
1904年、兄が弟の作品をシェーンベルクのもとに持ち込み、シェーンベルクや同門のヴェーベルンとの交友が始まる。
ベルクはギムナジウム卒業後、公務員となるが作曲活動に打ち込むため2年で辞職する。
1907年、「4つの歌曲」で本格的な作曲家デビューを飾る。
1908年に喘息を発病。この時23歳だったベルクは「23」という数字を自己の運命の数と決め、
この数は以後の作品の構成を彩る事になる。
1911年、声楽を学んでいたヘレネ・ナホフスキーと結婚。
1914年、ゲオルク・ビュヒナーの戯曲「ヴォイツェック」の上演に接したベルクは
この戯曲を基にした無調音楽のオペラの作曲を始める。
しかし、この年に第一次世界大戦が勃発。翌年から兵役に服する事になり作曲が不可能になったが、
1917年になって休暇を与えられ、歌劇「ヴォツェック」の作曲を再開する。
「ヴォツェック」の完成はその5年後の事である。
1925年に歌劇「ヴォツェック」がベルリン国立歌劇場でエーリヒ・クライバーの指揮によって初演された。
この作品によってベルクの作曲家としての名声は揺るがぬものとなった。
この年、プラハ訪問中に知り合ったハンナ・フックス=ロベッティンとの不倫関係が始まり、この関係から「抒情組曲」作曲された。
1928年、フランク・ヴェーデキントの戯曲「地霊」および「パンドラの箱」に基づく歌劇「ルル
(Lulu)」の作曲に取り掛かるも、
翌年には「ルル」の作曲を一時中断する。
1933年、ナチス・ドイツ政権発足により、師シェーンベルクと共に(ベルクはユダヤ人ではないが)
ベルクの音楽も「退廃音楽」のレッテルが貼られ、ドイツでの演奏が不可能になる。
1935年、アルマ・マーラーと彼女の2番目の夫ヴァルター・グロピウスとの娘でベルクも可愛がっていた、
マノン・グロピウスの訃報に接し、「ルル」作曲の筆を再び置いて、「ヴァイオリン協奏曲」を書き上げる。
しかし、協奏曲完成の直前に虫刺されが原因の腫瘍ができ、これが悪化。
手術を受けるも敗血症を併発しこの年の12月24日に50年の生涯を閉じた。
未完のまま遺された「ルル」は完成していた2幕までと「ルル組曲」の抜粋という形で初演されたが、
未亡人ヘレーネは補筆を禁じ、3幕の形での「ルル」(フリードリヒ・ツェルハ補筆版)初演は
ヘレネ没後の1979年にパリのオペラ座にて行われた。(パトリス・シェロー演出、ピエール・ブーレーズ指揮)
生涯
生没年:1885年2月9日誕生
1935年12月24日没(享年50歳)
出身地: オーストリア/ウィーン
Alban Maria Johannes Berg
| 主要作品一覧 | |
| <オペラ> | |
| ヴォツェック | 1925年 |
| ルル | 未完 |
| <ヴァイオリン> | |
| ヴァイオリン協奏曲 | 1935年 |