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ベートーヴェンには音楽家として最高の『楽聖』の称号が与えられている。
彼の生涯は非常に波乱万丈に満ちたものであった。歌手である父ヨハンと、
母マリアの長男として生まれたベートーヴェンは4歳の頃からピアノを学ぶが、
正規の音楽教育は11歳の頃から受けている。父ヨハンはアルコール依存症であり、
そのため、14歳から家計を助けるために教会のオルガン奏者をしていたとされる。
1787年、16歳のベートーヴェンは初めてウィーンでモーツァルトに出会い、賞賛を受けた。
だが、17歳の時に母マリアが亡くなり、アルコール依存症の父の家計のため、
本格的に働かざるおえなくなる。
22歳の時にベートーヴェンはウィーンに移り、ハイドンやサリエリに師事する。
ウィーンでの彼は、その抜きん出た才能をいかんなく発揮し、貴族社会の多くのパトロン
(金銭的な支援者)を見出していった。この頃、父ヨハンが亡くなる。
28歳の頃から持病であった難聴が悪化し、深刻化していった。32歳のときには絶望のあまり
「ハイリゲンシュタットの遺書」と呼ばれる遺書を書くが、その後絶望からの復活をみせる。
この頃より彼の創作活動は円熟していき、ピアノ・ソナタ「悲愴」(1799年)、
ピアノ・ソナタ「月光」(1801年)、交響曲第3番「英雄」(1804年)、交響曲第5番「運命」(1808年)、
交響曲第6番「田園」(1808年)など次々と代表作を残していく。
晩年は弟の死去、ベートーヴェンが実子として引き取った甥カールの自殺未遂、
そして、自身の慢性的な腹痛や下痢に加えて、もうほとんど聴こえなくなった耳に悩まされていた。
それでも交響曲第9番「合唱つき」(1824年)などを作曲した。
1826年、ベートヴェンは病に罹っており、シューベルトなどが見舞いに訪れるなどしていたが、
翌年1827年3月26日、その波瀾に満ちた生涯を終えた。享年56歳。 伝説によれば、
ベートーヴェンの最後の言葉は「諸君、喝采を、喜劇は終わった」だったと伝えられている。
生涯
生没年: 1770年12月16日 誕生
1827年 3月26日 没(享年56歳)
出身地: ドイツ・ボン
Ludwig van Beethoven

| 主要作品一覧 | |
| <交響曲> | |
| 交響曲第3番「英雄」 | 1804年 |
| 交響曲第5番「運命」 | 1808年 |
| 交響曲第6番「田園」 | 1808年 |
| 交響曲第9番「合唱つき」 | 1824年 |
| <協奏曲> | |
| ピアノ協奏曲第5番「皇帝」 | 1809年 |
| <ピアノ> | |
| ピアノ・ソナタ第8番「悲愴」 | 1798年 |
| ピアノ・ソナタ第14番「月光」 | 1801年 |
| バガテル「エリーゼのために」 | 1810年 |