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1908年、スウェーデン移民の両親の許にマサチューセッツ州ケンブリッジにて生まれる。
教会オルガニストを務める母親からピアノを習った。
父親は郵便局員だったが、家庭ではマンドリンやバンジョーを弾いていた。
地元のハイスクールでラテン語教育を受けた後、1926年にハーバード大学に入学。
作曲をウォルター・ピストンに学ぶ。ニューイングランド音楽院にも通い、
ヘンリー・ギデオンにピアノを、ガストン・デュフレーヌにコントラバスを師事。
1929年に芸術学学士号を、1930年には芸術学修士号を取得。
その後2年間ラドクリフ大学で教鞭を執るかたわら、
バンドマスターやダンスホールのダブルベース奏者、学生合唱団の指揮者や教会オルガニストなども務めていた。
1931年から1935年までは、ハーバード大学で言語学の研究員となる。
音楽家となる戦後までのアンダーソンは、言語学者として、
スウェーデン語、ドイツ語、デンマーク語、ノルウェー語、アイスランド語、オランダ語、
ドイツ語、フランス語、イタリア語、ポルトガル語の研究を続けていた。
1938年、ボストン交響楽団のマネージャーの求めによって、ハーバード大学の学生歌を編曲して提出したところ、
指揮者アーサー・フィードラーの目に止まり、オーケストレーション能力を賞賛され、自作を書くように求められる。
これを機に「ジャズ・ピチカート」を作曲・発表、成功した。その後「ジャス・レガート」を作曲、これも好評を得た。
その後1942年、米軍に入隊し、第二次世界大戦中はスカンジナビア語担当の情報将校としてペンタゴンで働く。
1946年に除隊後、本格的に作曲家として活動を始める。まずは1946年、「シンコペイテッド・クロック」を作曲。
これはゴールドディスク賞を受け、ビルボードチャートの11位まで昇った。
1951年作曲の「ブルー・タンゴ」の録音は、器楽曲で初めてミリオンセラーになった。
この「ブルー・タンゴ」はアンダーソン最大のヒット曲となり、彼の指揮したレコードは、1
951年12月末からヒットチャートに38週も入り、1位を5週間取った。
1958年、ミュージカル「ゴールディロックス」を作曲。同作品はトニー賞を受賞したが、
商業的には成功しなかった。その後も精力的に管弦楽用の小品を作り続けた。
1975年、肺ガンのためコネティカット州ウッドベリーの自宅で死去。1988年に「作曲家の殿堂」入りを果たす。
生没年: 1908年6月29日 誕生
1975年5月18日 没(享年66歳)
ルロイ・アンダーソン
| 主要作品一覧 |
| <管弦楽曲> |
| シンコペイテッド・クロック |
1945年 |
| そりすべり |
1948年 |
| トランペット吹きの子守唄 |
1949年 |
| タイプライター |
1950年 |
| 舞踏会の美女 |
1951年 |
| ブルー・タンゴ |
1952年 |
| トランペット吹きの休日 |
1954年 |